ビロード革命だけでない11月17日

抗生物質のおかげでようやく熱が下がりました。

ご心配をおかけいたしました!

(コロナではなくただの(?)いつもお世話になっている気管支炎です💦)

咳はまだ止まりませんが、立ち止まっている場合ではないので・・・進みましょう!

せめてBirelで記念日乾杯✨

それにしても、プラハはうっとりするようなお店で溢れていますね。人がいない場所を選ぶ、どなたかと話をする時は必ずレスピレーター。風邪も当然うつしてはダメ。


本日はチェコの祝日「自由・民主主義闘争記念日」でした。

歴史的にも世界的にもよく知られている出来事がありました。

Googleを開くと検索欄の上にチェコの国旗🇨🇿がヒラリヒラリ。

Google

🔹1989年11月17日

ビロード革命と呼ばれる民主革命の発端。

共産主義体制のチェコスロヴァキア社会主義共和国時代。プラハで集結した数百人の学生の集まりが数万人のデモ行進へと発展しました。

ビロード革命についてはネット上でも様々な記事が掲載されています。

しかし、あまり知られていないのがもう一つの11月17日。

ビロード革命のきっかけとなるデモ行進も、学生の集結がきっかけでしたが(当然それだけではありませんが)、

同じ11月17日にドイツ軍の犠牲となったヤン・オプレタルという学生を追悼するという名目でした。

ドイツ軍・・・

時代は、チェコがナチドイツの保護下にあった1939年まで遡ります。

ナチドイツ支配下において、国民の不満は高まる一方でした。

そして徐々に行動へと移されていきました。

🔹9月30日 ミュンヘン協定から一年、プラハ市ではトラム(路面電車)のボイコット運動が起こる。

チェコ人は徒歩で通勤。乗客なしの空っぽのトラムが街中を走る。

🔹10月28日 ドイツ側の指示により祝日から外されていたものの、工場が従業員に休日を与えるところもあり、国民は正装しチェコスロヴァキア独立記念日を祝った。

そして、プラハで最も有名なヴァーツラフ広場などで発生した学生デモにはおよそ10万人が加わりました。

ゲシュタポを上げての大鎮圧の中、一名の労働者が銃殺、そしてカレル大医学生のヤン・オプレタルが打たれて負傷し、11月11日に亡くなりました。

🔹11月15日 ヤン・オプレタルの葬儀が執り行われた後、再び数千人のデモが発生。

🔹11月16日 ヒトラーも参加したベルリンでの会議にて、『Sonderaktion Prag(プラハ特別政策)ーチェコの大学を三年間閉鎖すること』が決定。

🔹11月17日 プラハ市、ブルノ市、プシーブラム市の大学に秘密警察およびゲシュタポが乗り込み、9名の学生を逮捕、その後処刑。(大学閉鎖事件)1200名以上の学生がザクスハウゼン強制収容所へ送還。。


1941年11月17日には、ロンドンにて国際学生の日(学生運動の日)が宣言されました。

本日も様々なイベントが開催されていましたが、コロナ禍で状況が悪化しているため、「外の集会でもマスクを!」と呼びかける声も多かったです。

先日16日の新規感染者数は約2万2千5百人。

入院患者や重体の患者が増え、医療従事者は休みも取れない状況。

また、若年者の歴史への無関心さはどの国も一緒。

歴史背景を考えるよりも有名なスポットでの撮影を楽しむといったイベント感覚との声も。

年号とキーワードだけでなく、当時の背景を理解するのは、自国に関することであっても大変難しいものですよね・・・。

といったように様々なストーリーが入り混じる11月17日が、毎年チェコでは繰り広げられています。

歴史というと「大それたこと」だと感じますが、ビロード革命を経験された「生き証人」の方々は沢山いらっしゃるので、当時のご自身の生活を教えていただけます。

歴史に刻まれる事実と人々が送っていた日常生活は、少し違うものだなと感じることができるのも、今チェコにいるおかげなのでしょう。

「平和ボケ」という言葉を耳にしますが、それも、平和が続いているからこそ言えることですよね・・・。

平和で心配事の少ない社会が続いていきますように!

と心配事の多い大人になりましたが、願わずにはいられません。

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