自意識過剰
Better to say “Nobody is watching you.” or “They are pumpkins.”?
「今は完全に克服しました!」というわけでもありませんが、高校生の時にひどかった現象。
「人に(誰かに)見られている」という意識から発疹が出ました。
発疹というのも大袈裟で、右目の上瞼にポチッと蚊に刺されたような膨らみが出ました。
多感な高三です。他の人からは「別に大したことなくない?」と言われても、気分はお岩さん状態(苦笑)。
血液検査など色々とたらい回しにしてもらいましたが、「至って健康✨」のお墨付きをいただきました。
そのため、対策としては痒みを感じたら保健室に逃げ込み、一時間ほど様子が収まるのを待つということを繰り返していた時期がありました。
その後チェコに留学しました。
チェコでは・・・見られました、見られました。プラハでもじろじろ、地方ではもっと。
ただ、蕁麻疹は出ませんでした。
色々考えましたが、理由は明白だったように思えます。
「見られている理由が分かっていたから」=あまり見かけることのないアジア人(日本人)女性
(女性を強調する必要はありませんが、どこにいても、男性より女性の方が注目を浴びるのが一般的のように思えます。)
高校生の時、見られていた理由は様々だったでしょう。
服装、髪型、小物使い、話し方、ご飯の食べ方・・・男女共にお互いスキャンにかけ合っていたように思えます。
一時期ですが、「私、何か(どこか)見た目変じゃないかな?」という不安の塊でした。
「自意識過剰」の一言で済ますこともできる現象です。
さて、蕁麻疹が出た当時を含め、昔から人前で話すこと自体は得意でした。
しかし、通訳のバイトを始め、喋れない言語で話すところを見られるプレッシャーは大きかったです。
朝礼など、大の大人(チェコ人は大柄の方が多いせいもあってか)に囲まれ・・・蛇に睨まれた蛙状態でした。
恥ずかしい、悔しい思いをしながらも、「通訳のバイトを辞めたい」と思ったことはありません。
しかし、どうやって前向きに切り抜けようか・・・?
そんな時に頂いたお言葉です。
「みんなカボチャだと思えば良くない?」
🎃🎃🎃
おおおおお!ナイス・アドバイス!
その次の日から、本当に周りがカボチャに見えました。
そして、通訳者として経験を積み余裕が出てくると・・・
カボチャが消えました。
朝礼は集会といった通訳でも、一人一人を「人」として意識してアイコンタクトを取りながら通訳ができるようになりました。
こういった経験は、その後も役立ちました。
ネットワーキングといった様々なイベントにて人に注目されているなと視線を感じる時は、「誰も見てない、誰も私になんか注目してない、自意識過剰!」とおまじないを唱えるよりも、「さ、みんなカボチャ🎃」と一旦置き換えるようにしています。
プレゼンテーション担当や司会進行役においては、「見られている」ことは気になりません。
これもまた、「見られて当然の立場」にいることを脳が理解しているため。
自分の認識によって体に現れる何らかの反応を「生理的なもの」と片付けることも簡単ですが、「絶対自分で克服するのは無理」といったことは割と少なく、原因を理解すれば対策が可能なことも多々あるように思えます。
また、よくある場面のちょっとした工夫で助け舟を出せることもあるように感じます。
●他の方のプレゼンを見ていて、時々、「この方、すっごい緊張しているなー」と感じることがあります。
出だしってプレッシャーなんですね。
そういう時は、失礼ながらも資料に関するどうでもいい質問を一つ投げかけます。緊張感というのは、普通の会話をすればすっと抜けることが多いようです。
●「みんな自分のプレゼンちゃんと見てくれているかな?」という不安が強い人の場合には、少し大袈裟なジェスチャーで頷く、微笑むなど共感を示す。
●また、どんな内容であっても(!)終わった後には、「ありがとうございました!」、頭を下げる、拍手・・・などその場にふさわしいポジティブな対応を行う。
プレゼンすぐ後の「嫌な印象」というのは、暫く尾を引くそうですので。
(※仲間内での議論や反省会などは別途後に。)
ハロウィーンが近づいてきましたね。
ジャック・オー・ランタンを見ると、カボチャにどれだけ助けられたかを思い出します。
インフルエンザの予防接種を受け一週間停滞気味でしたが、そろそろ復活できそうです。
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