誰が呼んだか銭形平次(2) 小学校
先日に続き、私の幼少期のご紹介となります。
テレビは普通に色々と見ていましたが、記憶にあるのは時代劇ばかり。
それだけ印象的だったのでしょう。
その他、アニメも割と覚えています。反セーラームーン派だったことも 笑。
緑の屋根の学び舎(や)よ 朝日に♪♪♪
マンモス校であった母校より分校された新しい校舎、校歌の通りにステキな学校でした。
今でも校歌を歌えるのは、「沢山歌わされたから」ではなく、好きだったからですね。
当時の小学校、どこも厳しい先生が多かったように思えます。
特に幼稚園から上がったわんぱく者たちを手がける先生は大変だったでしょうね。
座って話を聞く時は、手が遊ばないにように椅子の後ろに手を組む。
給食は三角形(パン、おかず、牛乳)で食べる、絶対に残さない・・・など様々なルールとの対面です。
やんちゃでしたが、「ある程度意味があると思うこと」には反抗しませんでした。
隠れて反抗したのは、「給食を全部食べること」。
パンまずい。→小麦粉がかわいそうだと思いました。
給食はほとんどがパンで米飯はカレーライスの時ぐらい。→日本人なのに給食でわざわざパン?お金ないから給食やめて家からおにぎり持参の方が良くないかなと思いました。
マーガリン→なぜわざわざ油を食べなきゃいけないかわからない。栄養失調になりそうな献立ではない。→こっそり持ち帰って家の調理で使ってもらっていました。
学校の牛乳は「変な味」と思いながらも・・・一気飲み大会で飲み干していました。
お互い笑かして「鼻から牛乳」は密かに日常茶飯事。
低学年の時はとにかく男の子たちと遊んでいました。
放課後は、ドッジボールで他の学年や学校の子達と勝負。(校区がビシッと決まっているのに、どうやって他の学校の子達を見つけていたかは謎です。)
野球も大好きでした。
そして高学年になって・・・あれ、女子と遊んでなさ過ぎる!と気づきました。
男の子たちとの体力差を強く感じたわけでもありませんが、「男女」を意識しだす年頃、私があまり上手くないサッカーが人気になったこともその理由かと思います。
大縄跳びやゴム跳び、バドミントン・・・やはり体を動かすのが好きでした。
おしゃべりは苦手。喋ること自体が苦手なのではなく、「誰が好き、かっこいい」、そして悪口。見た目や学校以外での服装、変な癖など・・・
どーでもいい。
気に入らないことがあれば本人に言えばいいし、誰がどんな服を着てるかなんてどうでもいい。
一緒に遊んで面白ければ遊べばいいし、面白くなければ遊ばなければいい。
なーんて思っていても、グループから外れる「はみご」は辛いですよね。
普通にてきとーに、当たり障りなく話を合わせる、自分も余計なことは言わないなど、「社会規範(!)」を学びました。
思い出は沢山ありますが、ここでは功績をご紹介したいと思います。
ーゴキブリ大量の飼育小屋の改善ー
三年生ぐらいの時に、田舎でもらったダッチうさぎを大阪の住宅で飼うことになったのがきっかけで、「うさぎってめっちゃ可愛いし、めっちゃ賢いやん!」と気づきました。
自分でベランダの一角をトイレと決め、そこ以外で用を足すことはありませんでした。清潔過ぎる・・・✨
そこで気になり始めたのが学校の飼育小屋。
汚いで有名でしたが、誰かが手を付ける様子はありません。
そこで、飼育係に立候補。友達を数人巻き込んで掃除当番へいざ。
出た!ゴキブリは長靴の中にもうさぎの餌場にも・・・とにかくいるいる!
ゾッとしました。悪夢となって夢にも出てきました。
でも・・・他のうさちゃんにもちょっとは良い生活を送って欲しい。
飼育小屋がきれいになれば、他の子供たちも寄って来る。みんなにかわいがってもらえる。
普段子供のことには介入しない母にも、協力を依頼しました。(それだけ私自身、追い詰められていました 苦笑。)
- ゴキブリ退治→物理的につぶす+ホイホイを仕掛ける
- とにかく清掃→当番以外の日にも通って洗剤使って掃除、除菌
- 無駄なもの→薄汚い雑巾や箒などはどんどん捨てる
上記だけでもだいぶ変わりましたが、少し掃除を怠ければ、餌箱やうさぎの家自体にまたゴキブリが住み着く。
そこで、管理人のおっちゃんに相談しました。教頭先生にまで話を持ち上げてくれて、(記憶はさだかではありませんが)確か、新しい餌箱やうさぎの家をを作る・買うといったことを行ってくれたはずです。
冬の寒い日・・・掃除の後でかじかんだ手を管理人さんの部屋のストーブであっためながら、お茶をもらって友達と一緒に喋っていたのをぼんやりと覚えています。
卒業してからも時々学校に飼育小屋を見に行きましたが、その後は「きれい」が維持されていました!
さて、冒頭の一文は何を意味するのでしょうか?
小学校自体には楽しい思い出が多いのですが、学業という面では退屈でした。
全てが簡単過ぎました。テストなんて満点でないことの方が少なかったです。
小学校に期待していました。難しいことをできる、すごいことを学べる、世界が広がる!
私は、小学生にて奈落の底に叩きつけられた気分でした。(大袈裟ですねー)
その分、参考書を買って勉強、本屋・図書室・図書館でガンガン本を読んでいました。ジャンルに偏りはありましたが・・・。
あー、こうやって大人は、日本は優秀な人材を潰すんだ・・・と本気で思っていました。
両親にも、「お金持ちだったら、私はアメリカに留学して好きなだけ勉強できたのにね。」とどこから持ち出した知識なのか、不満を述べ・・・
謝られました。「お金持ちじゃなくてごめんね。できるだけのことはしてるんだけどね。」
それはそれで切なかったので、人のせいにしないで自分でなんとかしなきゃいけないなと気づきました。
この時から、「教育をなんとかせねば」という思いは強かったのですが、これは私だけのニーズで他の人にはあまり関係ないかな、少数派で無駄な行動を起こしたら・・・出る杭は打たれて「四面楚歌」に。←ことわざや四字熟語なども当時から大好きでした。
くわばらくわばら・・・
というような変わった小学生でしたが、いじめられることはなく、大人からも「子生意気でおもしろい」と思われることが多かった幸せな人間です。
皆様の6年間、いや189216000秒はいかがでしたか?
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